胎児のときに受けた傷と罪からの癒し   ジョン&ポーラ・サンフォード

                                                    2025年1月9日 書き起こし

     YouTube 動画
   エリヤハウスの創立者ジョンとポーラ・サンフォードの貴重な教えです。 望まれない妊娠、養子に出された子、男の子が欲しかったけど、女の子だった(その逆もあり)…そのような境遇で生まれた子供は、親からの拒絶を感じることで傷をもって生まれ、その霊的な傷が癒されないまま大人になり、霊的な傷はさまざまな問題を引き起こします。でも時空を超越する神は、そのような傷を癒してくださるということをジョンとポーラ・サンフォードが教えます。 エリヤハウス ジョンとポーラ・サンフォード夫妻により1974年に創立されたエリヤハウスは現在11か国で、結婚、家庭、内なるいやしなどのミニストリー活動を展開。 (日本のエリヤハウス・ビデオスクール、 日本のエリヤハウス・祈りの家は1999年〜)
   ジョン・サンフォード師(見分け○)、ポーラ・サンフォード師(見分け○) どちらも天国固定

   

  エリヤハウスの基となるみことば:

   「見よ。わたしは、の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。 彼は、父たちの心を子たちに向けさせ子たちの心をその父たちに向けさせる(「父」「子」すべて複数) それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」 (マラキ4:5、6)

   「イエスは答えて言われた。「確かに、エリヤが来て、すべての事を元どおりに戻すでしょう。 」」 (マタイ17:11)

   ・・・・・ 私たちの戦いの場は、多くの場合 内側です。 その最も深い「根」の部分胎児のときに受けた傷や罪からの癒しが、人生全体の回復をもたらします。 これは、大リバイバルの時、主が通られる道のための 霊的備えです。




ジョン:

  これは生まれる前にできた 傷と罪からの癒しについての教えです。 まず祈りましょう。

  主イエス・キリストよ。 「私は 恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられています。」(詩篇139:14) 私たちの存在しているすべての瞬間に、私たちと共にいてくださることに感謝します。 主イエスよ。 あなたの御前に、私たちの霊に起こったすべての出来事、苦しみ、罪を 差し出します。 私たちが胎から出てくる前に起こったこともです。 イエスの御名によって、祈ります。アーメン。


  この教えは、驚くような新しい啓示に基づいています。 お腹の中の胎児は 彼の霊を通して、私たちが思っていたよりもはるかに多くのことを 知っているのです。 お腹の中の胎児は、彼の霊で、家で起こっていることを経験し、起こっていることや 親が考えていることを知っています。 だからを通して傷つき、罪となるような反応をして、彼が生まれてくる前に、彼の生まれてくる環境を 裁くことがあるのです。 聖書で裏付けしないといけませんね。 私たちの人の霊が罪を犯すことがあると、理解することが大事です。 もちろん聖霊とは違いますよ。 人の霊が 罪を犯すのです。 ノートを取るなら始めてください。

  聖句を挙げていきます。 最初は詩篇32:1−2です。

   「幸いなことよ。 そのそむきの罪を赦され、罪を覆われた人は。 幸いなことよ。 主が、咎をお認めにならない人。 その霊に欺きのない人は。」 (詩篇32:1、2)

  聖句から、私たちの霊に 欺きがあることが分かります。 2番目のは皆が知っている聖句なので、皆で一緒に歌いましょう。 詩篇51:10−12です。 最初の部分を皆で歌いましょう。

   「神よ。 私に清い心を造り、ゆるがないを 私のうちに新しくしてください。」 (詩篇51:10−12)

  最初にある霊が 変でない限り、霊を新しくする必要はありません。 エゼキエル36:26。 キングジェームズ版(や、アメリカ標準版、NIV訳など)を読んで、すべての翻訳版を知ろうとして ごちゃごちゃになることがありますが、こう書いてあります。

   「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに 新しい霊を授ける。 わたしは あなたがたのからだから、石の心を取り除き、あなたがたに 肉の心を与える。」 (エゼキエル36:26)

  次の句で、「わたしの霊をあなたがたのうちに授け」 とありますが、それは聖霊のことです。 でも 「新しい霊を授ける」と言っているので、最初の霊に問題があるということですよね。

   「愛する者たち。 ・・・ いっさいのと肉の汚れから自分を清め、」 (Uコリント7:1)

  これはクリスチャン向けに書かれており、肉との汚れから 清められなさい、と言っています。 キングジェームズ版では、ヤコブ4:5は、

   「それとも、「私たちの内に住まわれる御霊、ねたむほどに慕っておられる。」と聖書に書いてあるのは、むなしい聖句だと思いますか。」 (ヤコブ4:5)

  つまり、霊が罪を犯すとか、霊が反応するとか、私たちが生まれる前にも(私たちの「人の霊」が)そのようなことをすることがあります。

   「あなたがきっと裏切ること、 母の胎にいるときから、背く者 と呼ばれていることを知っていたからだ。」 (イザヤ48:8)

  詩篇58:3は 最も分かりやすい聖句です。

   「悪者どもは、母の胎を出たときから、踏み迷い、偽りを言う者どもは 生まれたときから さ迷っている。」 (詩篇58:3)

  もう一度言います。 「悪者どもは、母の胎を出たときから、踏み迷い、偽りを言う者どもは 生まれたときから さ迷っている。」


ポーラ:

  今夜教えていることは、この本にまとめて書いてあります。 「養子の子供のための 新しい生活」 です。 シアトルの 養子のカウンセリング機関は、私たちがこの本を出すことを3年間懇願し続けました。 養子をもらう両親に 本をあげるためです。
  養子をもらった多くの親たちが、「この子が来ることを長い間祈っていたし、与える愛はたくさんあるのに、やっと来た赤ちゃんは、愛情を受け取らない。アイロン台を抱きしめているみたい。」とか、 幼児をもらった親たちは、「少し抱きしめた後は、押し返される。何が問題なのかわからない。」とか、「子供が、受け取る愛情に決して満足しない。何が不足しているのかわからない。」と言うのです。
  だから機関の人たちは、親たちにこの本をあげたら 祈り方がわかるし、子供の霊が いかに傷ついているか 知ることができる、と言いました。 子供を 深いレベルでいやすことができます。 これらの子どもたちは、拒絶を感じながらこの世に生まれてきたので、「自分は拒絶されたので、自分も他の人を拒絶する。」となるのです。 その他にも、人の霊の関する聖句で、ヤコブ2:26があります。

   「のない体は 死んだものである。」 (ヤコブ2:26)

と、明確に書いてあります。 私たちの体に命を与えるのは、霊なのです。 自分のお腹の中で 赤ちゃんが育つとき、人の霊があることが はっきり分かります。 その霊は、神からの贈り物です。 伝道者の書12:7には、

   「霊は、これを授けた神に帰る。」 (伝道者の書12:7)

とあります。 母のお腹の中で育つ小さな体に 命を与える霊は、永遠に生きる人格の一部なのです。 聖なるもの、価値あるものなのです。 ヨブ32:8には、 「人の中には、確かに霊がある。」 とあります。 霊 = spirit は、小文字の「s」で書かれています。 聖霊のときは、大文字で「Spirit」と書いてあるので、この個所は人の霊を指していることが分かります。

   「人の中には、確かに霊がある。 全能者の息が 人に悟りを与える。」 (ヨブ32:8)

とあり、私たちは 人の霊によって悟ることが分かります。 聖書には、たくさん 霊について言及しており、私たちも 人の霊に関してたくさん経験があります。 感情や思考でも これを経験することがありますが、人の霊について たくさんの参照箇所があります。 全部をここでは挙げませんので、辞書を使ってご自分で勉強してください。 自分たちが経験したことだけを言います。
  煩わしさ(troubleness)、苦悩、恐怖、切望を 私たちの霊は感じるし、歌ったり、賛美したり、嫉妬したり、誠実さや不誠実さを示したり、私たちの霊は 礼拝もします。 聖書の中で 最もパワフルな箇所は、ルカ1:41の、マリヤが主イエス・キリストを身ごもっているときの話です。 マリヤは彼女の従姉(いとこ)エリザベツのところに行き、エリザベツモ洗礼者ヨハネを身ごもっており、妊娠6か月くらいでした。 マリヤが家に入ってくると、お腹の中の洗礼者ヨハネは 喜んで踊りだします。 彼のは、物事を把握して察することができ、喜ばしいことが起こっていることを知っているからです。喜んで反応することができるのです。


ジョン:

  ルカ1:24と :56にも それが書かれています。 エリサベツが身ごもったとき、彼女は5か月の間 引きこもったとあり、56節には マリヤは3か月ほど エリサベツと暮らした、とあります。 私たち夫婦が救われた直後、中東文化の中で育った男性に出会いました。 西洋化の中でも 伝統的な文化が失われなかったのです。 彼は多くのことを説明してくれました。 エリザベツが5か月、マリヤが彼女と3か月過ごしたという、この聖句の意味を教えてくれました。 その地方では 女性が妊娠すると、すべての肉体労働や 日常の仕事の責任から離れて、女性は近くにいる親戚の家に行くそうです。 マリヤとエリザベツは従姉でしたよね。 親戚はその女性のために すべての家事をやってあげて、妊婦は聖句を黙想して 賛美歌を歌い 祈るそうです。 なぜなら、最初の妊娠3〜5か月の間に 胎児の性質や性格が形成されると、彼らは信じているからです。 「えー、すごい。」という声が聞こえます。 私たちは 聖書からほど遠くなり、妊婦にいろいろなことをさせてしまいます。 そしてなぜ問題が起こるのか、疑問に思っています。

   「イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり、神と人とに愛された。」 (ルカ2:52)

とあります。 12歳のイエスは、教師たちをびっくりさせたのです。(ルカ2章) 彼は、母親の胎内にいるとき、母親から多くのことを学んだからです。



ポーラ:

  今日教えていることを、家庭医と話していました。 すると彼は、「私はその話を信じます。 実際、患者に、『あなたが胎児に どんな影響を与えているか知っていますか?』と言っています。」と言いました。 「親たちがいろいろなことをやっているからです。自分の話に耳を傾けてくれない人もいるので 辛いです。」と言っていました。 そして赤ちゃんが生まれて、子供が寝てくれないとか、落ち着かないとか、問題を抱えるのです。 愛情を受け取ったり、平安や喜びを表現できなくなるのです。
  ジョンと私は、内なる人を癒す という働きを、25年間やってきました。それより長いかもしれません。 その働きを始めたとき、多くの人のように 今見える問題に対処しようとしていました。 主は、私たちの問題を理解してくれるので、祈ることはパワフルなことだと知っていました。 赦しと 癒しをもたらし、問題から解放されるのです。 多くの祈りが応えられました。 でもすぐに、その人たちの人生という木の 「悪い実」を取っているだけだということを発見しました。 悪い実はもぎ取ってごみ箱に捨てますが、時間がたつと、悪い実がもっとなるのです。
  だから私たちが主を求めると、主は、「もっと深く掘りなさい。 もっと深く祈りなさい。」と言われました。 すると私たちは、ただ枝を切り落としていることが分かりました。 でも枝はまた伸びます。 だから同じような悪い実がなるのです。 すると主は、私たちに聖句を通して語り始められ、問題の「根」に対処するように言われたのです。 ルカ6章を読みました。

   「悪い実を結ぶ良い木はないし、よい実を結ぶ悪い木もありません。」 (ルカ6:43)

  だから聖霊の導きによって、人々の人生の根っこを見るようになりました。 するとすべての根っこには、私たちの存在の初めにあることに気が付いたのです。 人生の最初の6年間は、人生の基盤になりますが、6歳までに私たちの態度や性格が形成され、10歳になるとそれが確固たるものになっています。 だから私たちがイエスのもとに来るとき、私たちは死んで、生まれ変わらないといけないのです。 物事を少しいじったり、絆創膏を貼るくらいではだめです。 死んで、生まれ変わる必要があるのです。 (古い性質に)凝り固まっているからです。
  人は人生の初めから、それぞれの時期に体験したことを 自分なりに解釈して、その解釈をすべてのことに当てはめます。 そして出来事に対して、自分の心の深いところで反応するので、その人には現実に起こっていることが きちんと見えていません。 彼は裁いて判断しているので、物事を色眼鏡で見ているのです。 主はそのことを説明する聖句を示してくださり、それは マタイ6章の22−23節です。

   「体の明かりは目です。だから、あなたの目が健全であれば、全身も明るいでしょう。
   しかし、あなたの目が邪悪になっていれば、全身も暗いでしょう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」(マタイ6:22、23)

  拒絶しか経験したことが無い人や、いつも仲間外れにされたように感じている人がいます。 過去を振り返っても、何かに属していて安心できた経験がない、という人がいます。 だから私たちは、主に 泣きついて祈りました。 そのような熱心な祈りはたいてい単純で、「助けて!」というような祈りです。 主は誠実なお方なので、それに応えて マタイ5章を示してくださいました。 物事を歪んで見ることを学んでしまったとき、どうするかが書いてあります。 現実がはっきり見えない時です。 マタイ5:29です。

   「もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。体の一部を失っても、全身がゲヘナに投げ入れられるよりは良いからです。」 (マタイ5:29)

  主が命じることは、抜本的な対処です。 その見方そのものを捨てなさい、というのです。 そして主は、私たちが時間を遡って、胎児にどのような影響を与えるかの 理解を深めてくださいました。 子供が初めて拒絶を体験すると、それが根っこになり、人生においてその人の視点が曇ってしまうのです。 医療関係者たちによる多くの研究によって 裏付けられたので、私たちは喜びました。 私たちと同じような見解を 多くの医者が持っていたからです。 そのとき読んだ本の一つは、カナダ人の医者によって書かれたもので、トーマス・ヴァニー医師による『まだ生まれていない子どもの秘密』です。 それと同じようなことを言及する多くの新聞記事も読みました。 これらの研究を読んでわかったことを、主が私たちに示してくださったことと比べてみて、私たちがそれについて祈ると、イエス様がその人たちの状態を変えてくださるのです。 これらの医者は、『愛は人を助ける。』とは言いますが、「イエス様が愛だ。」とは言いません。 でもイエス様には、人を変えて解放する力があります。 心理学では『私たちに起こった出来事が 私たちの人生を決める』と言っています。
  しかし、「起こった出来事に対して 私たちがどういう反応をしたかで、人生が決まるのです。 傷つけられた時などです。 でもクリスチャンなら、「私たちが物事にどう反応するかを 自分たちの霊で選ぶことができる。」と言います。 だから罪悪感などに対処しなければいけません。 私たちが胎児のときに(裁くことを)選択したことでも、私たちは今自由になったので、「主よ。 このような反応をしたことを 悔い改めます。」と言うことを選ぶことができます。 あなたに罪があるというのは、あなたを非難しているのではなく、その状況を言い表しているだけです。 罪を認めないと、赦しも受け取れないし、十字架のもとに来ることもできません。 だから、罪が分かるのは 良いことです。
  研究によると、生まれて1時間半の赤ちゃんは、部屋に父親が入ってくると 父親の声を認識するそうです。 父親が おなかの赤ちゃんを安心させるように 優しい口調で話しかけていた場合は そうです。 赤ちゃんが泣いているとき 他の男性の声には反応しなくても、父親の声には反応するそうです。 これに関してはいろいろな話を聞きました。

  今思い出す話は、妊娠している未婚の若い女性を助けている人がいて、母親のお腹に手を置いて、その人は赤ちゃんのために祈っていたそうです。 その女性は、母親の妊娠中や 出産のときも、ずっと付き添ってあげていたそうです。 その赤ちゃんは養子に出されましたが、その人が里親の家に行ったとき、赤ちゃんの機嫌が悪く 里親たちも戸惑っていたので、その人は赤ちゃんのところに行って、「大丈夫よ。 イエスさまが あなたを祝福するようにお願いしたのを おぼえている?」と言ったら、赤ちゃんは目を見開いて彼女を見て、落ち着いたので、彼女は赤ちゃんを抱っこしたそうです。
  研究によると、赤ちゃんには 音楽の好みもあるそうです。 たとえば、ヴィヴァルディーやモーツァルトには 赤ちゃんは好反応を示すそうです。 メロディーが滑らかで 音楽がゆったりしているからです。 でもベートーヴェンのように シンバルや打楽器が激しい曲や、ロックのような音楽では、母親のお腹の中で赤ちゃんが嫌がるそうです。 ロックコンサートに行ったある母親が、それを考えたら苦しくなって 彼女は会場を去ったそうです。 これには私たちも同感できます。 私たちには8人の孫がいますが、私たちの長男の妻が 一人目を妊娠しているとき、長男は私たちが教えたように 赤ちゃんを祝福しました。 でも彼には変なユーモアのセンスがあって、彼は赤ちゃんの注意を引こうとお腹に近寄ると、
ジョン:  「やあ!そこにいる人!」
ポーラ: と太い声で話しかけるので、繊細な子どもの霊が 突然聞こえる雷のような男性の声に、どう反応したか想像できるでしょう。 チャリティーが生まれたとき、ゴミの収集車など 突然騒音が聞こえると、大泣きして、彼女が泣き止んで落ち着くまで、長い間抱っこして 祈らないといけませんでした。 でもイエス様が 彼女の傷を取り除いてくださり、彼女はいやされました。 彼女の父親が無神経に 冗談でやったことを、彼女が赦すように祈ったのです。

  研究者たちがいろいろな証言をしていますが、子どもたちには 胎児だったときの記憶があります。 ある幼女は、床にあぐらをかいて座り、息を吸ったり吐いたりしていました。 それは彼女の母親がラマーズ法(陣痛のときの呼吸法)で学んだ呼吸法で、幼女がそれをテレビから学んだはずがない、と言いました。 この幼女が彼女の記憶からくる呼吸法を使って遊び始めたとき、家族はオクラホマ州に住んでいました。 ラマーズ法のトレーニングは 米国とカナダでは違い、彼女がトレーニングを受けたのはカナダで、幼女のやっていたのは カナダの方法だったのです。
  他にもオーケストラの指揮者の話があります。 彼らが初見演奏をしていたら、まだめくっていないページにあるチェロの楽譜を、彼が知っているのに気づき、指揮者の母親は プロのチェロ奏者で、彼を妊娠していた時、母親はその曲を練習していたことを 後で知ったのです。 私たちはこれに同感しました。
  私たちは誕生前の傷や罪について、ワシントン州のスポケーンでの聖会で教えていました。 聖会の途中で、私たちの息子が立ち上がり、「自分がずっと気になっていたことの理由が分かった。」と言ったのです。 彼は生まれた時からずっと、普通の就寝時間にベッドに行くことを嫌がりました。 幼い時から眠らないように、彼はずっと何かをし続けるのです。 私たちも大変でした。 でも息子が結婚してから、奥さんがそれで悩んでいました。 奥さんは普通の時間に寝たいのに、息子は奥さんに相手にしてもらいたがるのです。 別に夫婦関係がないというわけではなく、彼は何かに強いられるように、深夜まで起きていたがり、彼女はそのことに腹を立てていました。 彼は、「自分がなぜそうするのか、理由が分かった。 眠ると死ぬと 思っているからだ!」と言ったのです。 彼は説明してくれましたが、彼が生まれたとき、私にエーテル麻酔薬が投与されました。 当時の医者は、エーテルが胎児に悪影響を及ぼすことを知りませんでした。 私に大量のエーテルが投与されたのです。 それに彼は第一子だったので出産の痛みがどういうものかを 私も知らなかったので、「私を死なせないで!」と 主に祈っていました。 出産後、私のところに彼を連れてきてくれた時、本当に大量のエーテルが投与されたので、赤ちゃんはなかなか目を覚ましませんでした。 彼は真っ青になっており、赤ちゃんが目を覚ますまで時間がかかりました。 だから、「眠ると死ぬ」という思いが 彼に入ったのです。

  もう一つお話をします。 これは面白い話ですが、私たちの息子ジョニーが十代のとき、彼は簡単に人に心を打ち明ける子ではありませんでした。 でもある日、彼がずっと思っていたことを私に打ち明けてくれました。 「こんな夢をずっと見ているんだ。」と、目覚めているときも、寝ているときも見る、あるビジョンについて話してくれました。 いつも同じビジョンで、彼は「自分は狭いところにいてそれを楽しんでおり、そこから出たくないと思っている。 そこには長いひもがあり、そのひもを伸ばして眺めたり、それに触って手首に巻いてみたり、それを体に巻き付けたりして 心地よいのに、誰かが自分に『そこから出ろ』と言っているので、自分は怒っている。」と言うのです。 それを彼がシェアしてくれたとき、私たちは彼に、あることを初めて伝えました。 私たちの計算によると、彼の誕生は6週間遅れていたのです。 私たちは彼の誕生を待ち遠しく思っていました。 また彼が生まれるとき、へその緒がとても長く、それが彼の首や体に巻き付いていたので、医者や看護師はびっくりして、彼の出産には慎重に対応しなければなりませんでした。 それが彼の記憶にあり、夢となって表れていたのです。
  喫煙が胎児に危害を与えるのを知っていますよね。 酸素が欠乏するからです。何度も酸素欠乏が起こるので、そのたびに赤ちゃんは不安になります。 私が驚いたのは、研究者によると、母親が喫煙しているときだけでなく、母親がタバコを吸うことを考えているだけでも、胎児が反応しているのを 測ることができる と言うことです。 すごいことだと思いませんか?
  妊娠中の喫煙よりも、さらに大きな危害があるのは、家庭内での言い争いです。 研究者たちだけでなく、私たちもそれを何度も見ました。 お腹に赤ちゃんがいるときに、家庭内に不和があり、両親が口論したり 怒鳴って非難し合ったりすると、意見が異なる人たちが会話するのを 聞くことさえ耐えられない子供になります。 赤ちゃんは幼児のときから、意見が食い違う両親の間に入って、不安に駆られながら 自分の世界を自分の力でつなぎとめようとするのです。 研究によると、両親の間で口論がなされたとき、赤ちゃんは引っ込み思案で、怖がりになるといいます。 そして異常に母親に依存するようになります。
  それから最後に話すのは、心のつながりについてです。 ある研究者の話によると、主産後に 母親から母乳を飲むのを拒む赤ちゃんがいました。 何度も試しましたが、赤ちゃんが拒むのです。 皆あきらめようとしましたが、ある看護師が 母乳が出る違う母親のところに赤ちゃんを持っていくと、その赤ちゃんは喜んで乳を飲んだのです。 だから赤ちゃんが母乳の飲み方を学んだと思い、また元の母親のところに赤ちゃんを戻すと、赤ちゃんは乳を拒んだのです。 妊娠中の記録を見ると、彼女は妊娠を望んでおらず、中絶したいと言っていたそうです。 でも中絶したら彼女と別れると、子どもの父親が言ったので、彼女は子供をおろしませんでした。 子どもの誕生前に、母親が子どもと心を通わせようとしなかったので、誕生後に 子どもは母親と心を通わせるのを拒んだのです。 この証言は、私たちが知っている看護師たちが言うことと 一致しています。 母親や父親の腕に抱かれて泣いている赤ちゃんを見て、(看護師たちは、)その赤ちゃんが 望まれて生まれてきたのかを調べたのです。 すると、妊娠を望んでいなかった両親に対して、子どもは反応していたのです。 小さな子供のは 繊細なのです。 大人になっても消えない 子どものときの傷の癒し方を知る必要があります。



ジョン:

  今まで知らなかった 新しい情報ですか? 驚くべきことですよね。 記録に収めたかったのですが、読んだ新聞記事をなくしてしまいました。 幾人かの精神科医が、青年たちのグループを毎年観察していました。この青年たちは 毎年同じ時期に、自殺を試みるからです。 ある人は1月で、違う人は9月、という具合です。 なぜ同じ時期に自殺を試みるのか、何が共通するのかを調べていました。 精神科医たちが発見したのは、その青年たちの母親は皆、中絶を試み 失敗したということでした。 中絶を試みたのはいつだと思いますか? (彼らが自殺を試みるのと)同じ時期だったのです。 「お前は死ね」というメッセージを 胎児が受け取った、という結論に 精神科医たちは達しました。 青年たちはその時期になると 鬱(うつ)になるのです。 そのうえ、母親たちが中絶を試みたのと同じ方法で自殺しようとするのです。 ある母親は 胎内に鋭器を差し込もうとしました。 その息子は手首を切ろうとしました。 ある母親は薬物で中絶を試み、その息子は薬物過多で自殺しようとしました。 そのように母親の行為をメッセージとして、胎児が受け取ったのです。
  皆さん、いつでも中絶できるとは どういうことを意味するでしょうか? 希望すればいつでもできる中絶とは、殺人です。 主は、この二つの国(米国とカナダ)で認められている この行為に 怒っておられます。 他の国もそうですが、私たちが止めなければ、神の手が動くでしょう。 極端なケースについてはコメントしません。 それに関しては自分もわからないからです。 私が話しているのは、自分の都合に合わせて中絶することです。 これは マモンの祭壇に、子どもを生贄にしていることになります。 自分たちの生活に合うものでなければ、子どもの命よりも 自分たちの命の方が大切なので、子どもを殺す権利があると思っている。 私たちも目を覚まして、そのようなことを止めなければなりません。
  これを聞いている人で、あなたが中絶したことがあるなら、赦しがあることを理解してください。 カウンセラーと話して、祈って、あなたの心を清めるのです。 私たちが罪を告白するとき、信仰に基づいて行いますよね。 イエス様を心に受け入れるとき、感情で受け入れましか?それとも信仰によって受け入れますか? どっち?信仰ですよね。
 同じように、両親に対して怒りとか、嫌悪感とか、傷があることに気が付かなくても、でもそのような「実」が(あなたの人生に)なっているなら、それを事実として信仰で受け止めるのです。 「実」がなるなら 「根」があります。 だから信仰によって告白して、赦しを受け取るのです。 女性が中絶したことがある場合は、次のようなことをすれば役立つかもしれません。 「主イエス様。 その赤ちゃんの性別が何だったか、赤ちゃんの名前が何だったかを教えてください。」 と祈るのです。 その理由は、「ただの受精卵」と思って、ただの「モノ」だと思っていると、殺しても平気だと思いますが、赤ちゃんを人間として見ることで 現実として見ることができます。 中絶した女性が このような赤ちゃんを見たとき、初めて感情が沸き上がってきて、泣き出して 涙を流して、癒されたのです。 赦しを受け取ることができたので 彼女たちは癒されました。

  ノートを取っているなら、これから起こり得る境遇のリストと、それに対する反応のリストを挙げます。 子どもがどのように反応するかを挙げていきます。 子どもがそのような罪ある反応をした場合、どのような結果を生むか、どのように癒すか、も挙げていきます。 最初に起こり得る 罪ある反応や 起こり得る境遇は、子どもが結婚外でできた場合です。 結婚外でできた場合、子どもはそのことを知っています。 子どもはそのことを霊で察して、自分が望まれていないことを知っています。 だから拒絶されたと感じます。 そして「自分には存在する価値がない」と感じるのです。 申命記23:2にこうあります。

   「不倫の子は の集会に加わってはならない。 その十代目の子孫さえ の集会に加わることはできない。」 (申命記23:2) ( 注) ソロモンは不倫の子(×)、御子イエス様はダビデから28代目(○);  ルツはモアブ人(×)、ラハブは滅ぼされたエリコの、しかも遊女(×) にもかかわらず、主の系図に入っている)

  これは 主イエス・キリストによって克服することができます。 でも聖書に書いてあるということは、人類の意識にもそう書いてあるということです。 お腹の中で育ちながら、赤ちゃんは「恥」を感じるのです。

  だから結婚外でできた子どもには、傷があります。 第1に、子どもは恥を感じながら生きます。 母親が感じる恥を、子どもも感じ、父親が感じる恥を 子どもも感じるのです。 その恥の責任を感じるのです。 2つ目に、パフォーマンスを意識する子供になります。 パフォーマンスで 自分が存在する権利を勝ち取らないといけない と思い、ただ居るだけで愛されるとは思わないで、愛されるためには何かをしなければならない、という嘘を 信じるのです。 「存在する権利を勝ち取らないと」と思いながら、「自分は存在すべきではない」とも思うのです。 また、死への願望を持って 生まれてくることがあります。それは様々な病状になって表れることがあります。 本当は「生きたい」と思っていないからです。
  次に、子どもは 全く自信がないので、次のいずれかのような反応を示します。 愛情を常に欲しがり、決して満たされることがありません。 どんなに愛情を注いでも、もっと欲しがり、自分は本当に望まれて 選ばれて生まれたのか、という疑問の答えが分からないので、満たされないのです。 あるいは、一切の愛情を拒みます。 「愛してもらえないなら、自分も愛さない。」という風にです。 妊娠7か月になってから赤ちゃんを産むことを決めたとしても、最初に抱いた思いが 子どもの中に残ります。
  それではどのように癒すのか、私たちはこのように話してから 祈ります。 もし子供が両親のことを知らないなら、その時の境遇について、両親と話すことを勧めます。 経歴や 望まれて生まれたかどうかを知り、両親の仲が良かったか、妊娠時の家庭の経済などを調べるのです。 それを調べたら、「主イエス様時間を超えて お腹の赤ちゃんのところに行って(*)いただけますか。」と祈り、そして、「その赤ちゃんの耳元で『私は間違いは犯さない。わたしは不良品も造らない。あなたはわたしが計画した命だ。』と耳元でささやいてください。 その赤ちゃんの霊の深いところに語りかけ、両親が何をするかを知っていたけれど、赤ちゃんの命をご計画されたことを、語ってください。」 と祈るのです。(* 主は、時間を超えて 摂理を造り変えることができる方)
  それに関する聖句もあります。

   「私たちは神の作品であって、良い行ないをするように、キリスト・イエスにあって造られたからです。神は、私たちがその中で歩むようにと、その良い行いをもあらかじめ備えて下さいました。」 (エペソ2:10)

   「あなたの目は 胎児の私を見られ、あなたの書物のすべてが、書きしるされました。 私のために造られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」 (詩篇139:16)

  あなたのための 主のご計画が、書物に書かれている、と 聖書にあります。つまり非嫡出子ひちゃくしゅつし、結婚しないでもうけた子供)というものはなく、いるのは罪ある両親だけです。 だから、「主よ。 恥を取り除き、その思いを抹消してください。 そして彼の傷ついた霊には、癒される権利があることを気付かせて、彼を 彼がいるべき時間と場所に回復させ、彼がこの地に存在することを喜べるように、主イエス様、彼の心を癒してください。」と祈ります
  そしてその人に、「信仰を実行に移すために、『お父さん、お母さん、罪の中で私を身ごもったことを 赦します。』 と言いましょう。」 とも言えます。 両親がいる場所で、それを言う必要はありません。 カウンセラーに言うだけで十分です。 親に対して 「赦す」と言い、(カウンセラーは)「あなたの心の中で両親に対して嫌悪感を抱いていたという罪から、あなたは赦されました。」と言うのです。 地上に存在してもよいと思えるようになるのです。

  2つ目にあり得る境遇です。 子どもが都合の悪いときにできてしまったとき、経済的に苦しかったり、上の子が生まれたばかりだったりして、妊娠が早すぎると両親が思っていたり、子どもが死んだ後に また妊娠した子だったり、すでに子どもが6人もいて もういいと思っていたら また子供ができたりすると、お腹の子どもにはそれが分かります。 私が列挙したようなことが 子どもに起こるのです。 だから同じように祈ってください。 その人には(非嫡出子の)「恥」はないでしょうが、でもその他のことは みな同じです。

  3つ目の境遇です。 母親が直前に一回以上流産を繰り返したとき、研究者によると、母親が流産を繰り返した後に 子どもを妊娠すると、母親は子どもをまた失うと傷つくので、子どもとの絆を育むのを恐れます。 だから赤ちゃんは、愛情がなく 拒絶されたと感じます。 だから それから癒される必要があります。 私たちの霊にも思考があり、霊は 私たちの(たましいの)思考で理解するよりも、はるかに多くのことを知っているのです。 もっとわかりやすく説明しましょう。 これを経験した人もいるでしょう。 知人が意識不明になり、その人の病室であなたがその人に語りかけたら、その人の意識が回復した時 あなたが言ったことを すべて、その人が覚えていた。そのような経験はありますか? 全く同じようなことが お腹の赤ちゃんにも起こっているのです。

  次のような境遇でも起こります。 男の子がすでに4人いて、また妊娠しました。 そんなときは 次は女の子が欲しいと思いますよね。 でもお腹の子は男の子だった。 あるいは 女の子がすでに3人いて、妊娠したら 次は「男の子」が欲しいですよね。 でも女の子だった。 男の子が欲しかったけれど女の子だったり、女の子が欲しかったけれど男の子のとき、お腹の赤ちゃんにはそれが分かります。 そして、「自分は間違いだった」と思うのです。 そのような子は、パフォーマンスを重視するようになりますが、根底では どうせ失敗する と思っています。 「パパやママに気に入られるために、どれだけ頑張っても、自分が生まれたこと自体が間違いだったので、どうせだめだ。」と思うのです。 だから、「どうせだめだから」と反抗的になるかもしれません。 必死で頑張ることや、恐怖心や、自分に自信がないことに加えて、女の子っぽい男の子や 非常にお転婆な女の子になることもあります。 親が望んだ性別になろうとしているからです。

  ある女性が私たちのところに来ました。 彼女には子供が5人いましたが、夫と性交渉をするとき、彼女は汚らわしく感じる と言いました。 なぜ汚らわしく感じるのか、彼女にはわかりませんでした。 本を読んでもらっても、まだ汚らわしく感じると言うので、性的いたずらをされたことがあるか調べて、その癒しや その他の癒しをしましたが、それでも汚らわしく感じる と言うのです。 私もこの働きを始めたばかりだったので、無知で 気が付きませんでした。 でも主が、彼女に夢で示されたのです。 彼女は私にそれを報告し、「私がまだお腹にいるとき、父親が『男の子が欲しい』と言うのが聞こえた。」と言いました。 私も気づくべきでしたが、彼女はいつも ジーンズをはいて、男っぽい髪形で、決して化粧することもなく、勇ましい歩き方をしていました。 彼女が歩いても ドレスの音がしたリ、なびくものがないのです。 そして彼女は、「自分には同性愛の霊がいる。」と言いました。 「女の人と寝たいのですか?」と聞くと、「違う。」と言い、でも「同性愛の霊だ。」と言うのです。 でも主が示してくださいました。 彼女は、自分が男であるべきだ と思っていたので、彼女の夫と性行為をするとき、彼女は自分は本当は男性で、女性といるべきだと思っていたので、汚らわしく感じていたのです。 だから彼女は、「自分には同性愛の霊がある。」と言ったのです。 だから彼女と祈って、その部分を癒してもらい、彼女に、「あなたの夫のお金で買い物に行って、素敵な長いドレスを買って おしゃれをしなさい。」と言いました。 次回 彼女に会ったら、素敵な髪形で 口紅をつけて、手首や裾にフリルがついた服を着て、フリフリさせて部屋に入ってきたのです。 でも家でもっと練習した方がいいね と言いました。 でも彼女は、自由になったのです。

  このような状況から、いつもではありませんが、同性愛が生まれることがあります。 子どもがお腹の中で嘘(うそ)を信じるのです。 そして後に 彼が同性愛の行為をすると、それが自然なことのように感じるので、自分はそのように造られたと思うのです。 でも神は、同性愛を造りません。 彼はお腹の中で、嘘に同意してしまったのです。 でも彼は 真理を発見した、と思ってしまう。 でもそれは真理ではありません。 だからそれから解放してあげるのです。

  それから 最後に挙げる境遇は、子どもが養子に出される時です。 私は 「養子に出された子供が一番かわいそうだ」と言っていましたが、ある男性は 「違うよ。一番かわいそうなのは、養子に出されても誰からももらってもらえない子が 一番かわいそうだ。」と言いました。 養子に出される子は、すべて、お腹にいるときから拒絶された と感じます。 子どもは拒絶されたことを知っているからです。 お母さんが未熟だから、子供を欲しがっている夫婦にあげるとか、きちんとした理由があっても、子どもは拒絶されたと感じ、養子になった子は皆 アイデンティティーを見つけるのに苦しみます。 彼の遺伝子は、本当の親元に居ることを切望します。 自分が誰であるかを知るためです。だからアイデンティティーの問題で苦しみます。 養子をもらった両親たちから聞いたことを挙げてみます。 「血がつながった子どもと養子の子に、同じ愛情を与えているのに、養子の子は愛情を受け取りたがらないのは なぜかわからない。」と言います。 または「愛情をいくら与えても、養子の子が満足しないのはなぜか。」とも言います。 その理由は、子どもが肉親と心を通わせなかったので、他の人と心を通わせることを拒絶するからです。 そして、愛を拒みます。
  次に、養子をもらった両親が言うことは、「子どもたちに道徳を教えているから、血のつながった子供たちは私に嘘をつかないけれども、養子の子は 嘘を言う理由がなくても、病的に嘘をつく。」と言います。 もちろん養子の子のすべてが嘘つきだとは言いません。 でもそのようなことが 頻繁にあるので不思議です。 なぜ嘘をつくのでしょうか? ローマ2:1にあります。

   「それゆえ、ああ、すべて他人をさばく人よ。あなたには弁解の余地がありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めているのです。さばくあなたも、同じことを行なっているからです。」 (ローマ2:1)

  親の行為を裁くと、あなたもそれと同じ行為をする運命になるのです。 子どもは血のつながった親から、約束を受け取ります。 「あなたを大事に育てます」という 親の約束です。 でも子供が養子に出されるのは、親の約束が嘘だった ということです。 だから子供も、嘘をつくようになります。
  次に、「養子にもらった子が 盗むのはなぜか。」と両親から言われます。 「彼はいつも物を盗み、他の子どもたちの物を彼の引き出しの中から いつも見つける。」と言います。 「盗むところを見られても、『自分じゃない』と言い張る。」と言います。 病的に盗みを行ない、繁華街に行って わざと捕まるように万引きして、わざと見つかるように盗むのは なぜなのか。」と両親は言います。 同じ理由です。 両親が彼を養子に出したとき、親がその人の人生を盗んだからです。 だから彼も盗むようになる
  彼は、助けを求め叫んでいるのです。「私を見て、助けて。」と言っているのです。 どのように癒すのか。
  その子が胎児のときに戻って、「お父さん、お母さん。 自分を拒絶したことを 赦します。」と、言うのです。 養子に出したことだけでなく、拒絶したことも 赦すのです。 彼らを赦すので、(そのように裁いていた)子供も赦されます。 そして、「主よ。 この打たれて傷ついた霊を 癒してください。 彼は選ばれたもので、あなたの目には高価で貴いものであることを 示してください。」と祈ります。 詩篇27:10を使います。

   「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、 主が 私を取り上げてくださる。」 (詩篇27:10)

  「主が御腕にあなたを取り上げ、あなたは望まれて生まれた者です。」 と言うのです。



  終わりにカウンセラーの方々に言いますが、妊娠している女性に 社会常識に従ってアドバイスをしないでください。 神の思いは、社会常識と違います。 あなたが裕福な暮らしをすることが 神の優先事項ではありません。 神は、あなたの永遠のたましいを優先します。 だから困難な状況に置かれることもありますが、それは あなたが 主の中で強められるためです。
  聖書に出てくる神のしもべは すべて、困難な場所に置かれました。 だから、「この子は13歳のお母さんよりも、26歳の夫婦といる方が 良い暮らしができる。」と言うのは、聖霊の導きでそうなることもあり得ますが、人の常識で言う「良い暮らし」に基づいて 決断をしないでください。 神はそこにはいないし、それは神の知恵ではありません。 子供は 血のつながった親や、もっと良いのは両親と居る方が良いのです。 もし可能なら、子供を養子に出さないでください。 傷は癒えますが、できるなら養子に出すのではなく、子供は肉親と一緒にいる方がよいのです。

ポーラ:

  私は何年も 物事を正しく行おうと、いつも努力し、必要以上に責任感を感じていました。 いつも物事を正しく行おうとし、周りにもそれを強要したので、私の周りでは人は気を抜くことはできませんでした。 だからそのような部分が、癒されるように祈り、癒しを多少体験しました。でも完全にはなくなりませんでした。 するとある日、母親が 私の誕生について教えてくれたのです。 彼女が結婚した後に 盲腸が破裂したそうです。 今はそれほどではありませんが、当時では大変なことでした。 抗生物質もないし、今のように小さく切るのではなく 大きな開腹手術を行ない、毒素が出るように切り口をずっと開けたままにしました。 だから恐いものでした。 彼女は死にそうにもなりました。
  彼女が回復して退院した時、医者は彼女に 「最低でも1、2年は子供を作ってはいけない。」と言ったのです。 でもその2、3か月後に 私ができたのです。 だから、私がお腹の中で大きくなると、手術の切り口が開いてしまうかと 恐怖心があったそうです。 医者からもらった腹部バインダーできつく締めており、私を出産するまでそれをずっとしていたそうです。 彼女が私にそれを話してくれた時、自分がなぜ いつも努力をしないといけないと思い、苦しんでいたかが分かったのです。 私は自分が存在する権利を得ようとしていたのです。
  それから違う問題もありました。私は非常に内気でした。 ジョンと私は一緒に働きますが、「ジョンが望むことをやらないと」という気持ちが 異常なほどありました。 彼が喜ぶことだけをしました。 自分が成長して開花するのが怖かったのです。 自分が成長すると 彼を傷つける、という理由なき恐怖心があり、私が自由になり 自分らしさから働くと、彼を傷つけると思ったのです。 でもその問題も、胎児のときから来ることを、主が教えてくださいました。 「自分の命が成長すると、母親の命が危うくなる。」と信じていたのです。 だからイエス様を招いて、お腹の赤ちゃんを癒し、自由に成長しても良いことを 伝えました。 すると突然、非常に内向的だったのが変わったのです。 ジョンと話す時も リラックスして、彼が喜ぶことを私が言ったら それは良いけど、そうでなくても良いのだ、と思えるようになりました。 彼はそれでも生きていけます。彼が私を選んだのですから。

ジョン:

  私の母親は オクラホマの牧場の娘として育ちました。 彼女は学校までの5マイルを、馬に乗って通学していました。 だから母親の腹筋は見事なもので、母親が父親とじゃれ合って お腹をパンチしたら、父親の肋骨が折れたこともありました。 彼女が私を出産するとき、医者は先を急いでいたので、子供が早く生まれるように 長い針で4回も注射をしたのです。 そして母親は その強靭な腹筋で、大砲を撃つように 私をこの世に生み出しました。 それ以来、私のことを急がせる人はいません。
ポーラ:  私たちは彼の癒しを 今でも祈っているのですよ。
ジョン:  自分は重量挙げをするし、ラケットボールとか、ハンドボールのチャンピオンだったり、壁打ち(テニスの練習)もやるけど、看護婦が注射針を持ってくると、恐怖心に襲われ 逃げたくなるのです。 なぜなら、お腹の中で注射針に刺されたからです。 医者が投与した薬で 私と母親両方が死んでもおかしくありませんでした。 だから私は薬が嫌いになったのです。 「薬を飲むと死ぬ」と感じるのです。 それに必要でない限り、医者にはいきませんでした。 「医者には殺される」と感じていたからです。 でもそれについて祈ったら、その後の注射が気にならなくなりました。 医者も薬も、怖くなくなりました。 でも癒される必要があったのです。

  一つコメントしますが、霊的な諜報活動による 戦いが起こっています。 神のしもべが地上に生まれるとき、悪霊はそのことを知っています。 マタイ13:37で、

   「イエスは答えて言われた。「良い種をまく者は、人の子です。 畑とは世界であり、良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちです。 それを蒔いた敵は悪魔です。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使いたちです。」 (マタイ13:37−39)

   「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 種入れを抱え、泣きながら出ていく者は、束を抱え 喜び叫びながら帰ってくる。」 (詩篇126:5、6)

  神が 私たちを用いて 地に蒔くとき、(私たちは)涙を流すのです。

   「私たちは神の作品であって、良い行ないをするように、キリスト・イエスにあって造られたからです。神は、私たちがその中で歩むようにと、その良い行いをもあらかじめ備えて下さいました。」 (エペソ2:10)

  悪霊がそれを知るとき、その子を殺そうとします。 モーセも生まれた後、隠されていました。 イエスさまにもそれが起こり、サタンはヘロデを使って 彼を殺そうとし、ユダヤの子どもたちがみんな殺されました。 だから神のしもべが地上に送られる時、悲劇に囲まれることがあります。私が神のしもべになることを知っていて、悪魔は私を殺そうとしました。 悪魔はポーラの母親を殺そうとしました。 悪魔はエーテルで私たちの息子を殺そうとしました。 彼も神のしもべです。
ポーラ:  分かりますか? あなたの家族や知り合いにもあるでしょう。
ジョン:  悲劇が起こった人が皆、神のしもべとは限りませんが、ヒントとして考えることができます。



  頭を下げて 祈りましょう

  「主イエスキリストよ。 今日、隠された深いことを私たちに示してくださったことに 感謝します。 主イエス様が、私たちが知るべきことを見せてくださっています。 主の御手が短くて救えないのではないことを 感謝します。 私たちの人生のいかなる時点においても 癒してくださり、私たちが以前は知らなかった深いところまで ご介入してくださり、ありがとうございます。 母の胎にいる私たちを見つけて、癒してくださっています。 このメッセージを聞いた人や、これを後で聞く人に、胎児のときからの傷があるとき、その人を癒し始めてください。 孤独で拒絶されている者、地上に生まれるのを恐れている者を見つけ出し、自分は誰にも属さないと思っている人の耳に、「私があなたを選んだ。」とささやいてください。 「私には あなたのための計画があり、あなたは存在する権利がある。」と言ってください。 癒し始めてください。」

ポーラ:  「生前の子どもに対して行なったことで、罪悪感を感じている親のためにも祈ります。 彼らの心を慰め、子供たちがどのような困難を体験するか あなたはご存知で、親が失敗することを知りながら、あなたが それでも子供を送り出しました。 そして救い主を送ってくださいました。彼らが癒され、贖われるためです。 だから私たちは、あなたの安息を受け取り、あなたの死で、十字架で完了されたものを 受け取ります。」

  詩篇139編で締めくくります。

   「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。 私は感謝します。 あなたは私に 奇(くす)しいことなさって、恐ろしいほどです。 私のたましいは、それをよく知っています。 私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠されてはいませんでした。 あなたの目は 胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。 私のために造られた日々が。 しかも、その一日もないうちに。」 (詩篇139:13−16)

   「神よ。 私を探り、私の心を知ってください。 私を調べ、私の思い煩いを知ってください。 私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」 (:23、24)








            トップへ戻る